「車輪の下」 読了!
やっと、読み終えました
ずっと読みたかったのですが、元が英文学なので修辞や情景描写が日本の小説と全く違っているので、読むのに時間がかかりました
かんたんにあらすじを紹介すると、まず主人公は南ドイツの村一番の秀才 ハンス・ギーベンラートです
ハンスは父親や村の学校の先生の期待を一身に背負い、最難関と言われる神学校の試験を2番という好席次で合格します
ハンスはこの試験に向けて、夜中まで勉強したり、情操を豊かにするための聖書購読の時間に、隠れて勉強していたりしていました
(学年集会などで色々書き込んだ小さい紙を持ち込んで、校長先生の話の間に暗記している人いませんでしたか?あんな感じです)
神学校に入学したハンスは、自由で豊かな思想を持つハイルナーに出会い、価値観を揺るがされます
その中で、あまりに自由な思想を持つハイルナーの退学処分や、多感な思春期特有の気持ちのぐらつきから、徐々に勉強に対する意欲を失っていきます
(このエリート街道からの脱落の直接的理由は、ヘッセは描いていません あくまでも私の憶測です‥)
意欲を失うが最後、勉強の成績は急降下し、心身の病に罹患し、休学して実家での療養となります
快方後、町工場で働くことになったハンスは、周囲と馴染めず、地元の方との間に齟齬を感じる中で、飲酒による川への転落で溺死してしまいます
以上、とても簡略化しましたが、だいたいのあらすじになります
知っている方もいると思いますが、この作品はヘッセが29歳の頃に執筆し、自分の経験をなぞらえているんです
地元で天才と持て囃された神童も自分より上の存在を知ることで“才能”の差を感じ、脱落することは日本に限らないんですね
(まさに井の中の蛙大海を知らずですね)
このように、周囲の期待を背負いこんできたエリートが没落する話は山月記などでも描かれていますね
(山月記は溺死ではなく、虎になってしまいますが)
日本は未だ学歴社会が根強く残っているといわれ、現行の教育、社会システムという止まることなく走り続ける汽車の “車輪の下” で押しつぶされてきた才能が数多くあると感じます
使い古された考え方ですが、日本では、いい大学に入ることこそが勉強の目標になっている人がほとんどです
大学に入ってからの燃え尽き症候群などがその典型的な弊害だと思います
実際に北大生の一部もそうかもしれません笑
先日、不登校の子供の支援をされている方とお話する機会があったのですが、現行の日本の教育システムだと学校に行かないという選択肢をとりづらいという話になりました
不登校の子供のためのフリースクールの設立がなされているが、そもそも一つの箱に全ての子供を押し込める必要はないのではという考えに至りました
10人子供がいるとして、そのうち1、2人は学校に行かずに自分のやりたいことをやってもいいと思うのです
もちろん基本的な倫理観や社会常識は与える必要がありますが、子供がどうしても学校に馴染めない、人とのネットワークの形成がしんどく、他人と仲良くできないなど相当の不自由を感じるのであれば、行かなくてもいいと思います
現在、教育は受けられる権利であり、親が与えるべき義務です
しかしながら、その“教育”が現行のシステムでは凝り固まりすぎて多様性に著しく欠けており、小中学生段階で学校から脱落した子供を守る形のシステムが欠如しています
粗雑な論理で申し訳ないですが、国のシステムをつくっている人は偉い人です
そんな偉い人のほとんどは一般的に言って“いい”大学を出ています
いい大学を出ている、いわゆるエリートさんは自分のスキーマを通して、教育システムを敷設しようと考えます
そんなエリートさんの中で義務教育段階でドロップアウトしてしまった人は何人いるでしょうか
私自身はまだ大学生であり、社会や教育システムに精通している段階では到底ありませんが、車輪の下を読んで、車輪の下で轢かれている人に気付かず、せっせと早く汽車を動かすことだけに傾注している人々のことを考えずにはいられませんでした
今回の小説では、車両は当時のドイツの社会システム、運転士は父親や国の指導者でしょうかね
あまりに早く運転し過ぎたせいで、振り落とされた息子ハンスに気付かず、そのまま轢き殺してしまったんですからね
まだまだ書きたいことはあるんですが、明日早いので、この辺で今日は失礼します
おやすみなさい💤